永井"ホトケ"隆


「Trick Bag Tribe(TBT)」vol.10/1999.09.13


TBT(Trick Bag Tribe) No.10

Tomorrow Night(9/8) Come and Go with Us!
We're gonna dig our music at Blues Alley(Meguro)tel- 5496-4381

 久しぶりの TBTです。ただでさえ暑い日々に炎天下でモツ鍋食うような「マグノリアス」と「外タレ・グリーン・カード・自慢・ギター弾き倒し、喋り倒し、笑い倒し」山岸潤史のことで私の夏は終わった・・・・。

夏の思い出その1/この夏いちばんのハプニングと言えば、ピアノ犬コジ君があのハイ・ジヤックされ、もう少しで墜落するところだった飛行機に乗っていたことだ。怪し気な犯人に気づかなかったことで警察犬、救助犬としてはまったくダメなことが判明。盲導犬も(自分の行きたいとこへまっ先に行く犬やからなぁ・・)できんやろ。軍事犬としてもなぁ。厳しい訓練が嫌いやからなぁ。狩猟犬としても、たぶん猟で捕ったもの自分ですぐに食べてしまうやろ。愛玩犬にするには大きすぎるし、年もなぁそこそこやし。番犬・・・なぁ、前に空き巣に入られたっていうてたなぁ。でも、ピアノ犬は飛行機が違う方向に飛んでいることや、高度が低すぎることをいち早く察知。一番低いときには地上を歩いているおばちゃんの顔が見えた・・と語っておりますが、真偽のほどは・・。テレビを見たら解放された直後ほとんどの乗客が落ち込んでいたのに、僕の携帯のメッセージに残されたピアノ犬の声はメチャ嬉しそうで「ワンワン、ハイジャック!ハイジャック!・・・・もしもしコジでぇ〜〜〜〜〜す。ワンワン」プツン・・・。何のことやら分らず半日ほどして意味がわかりました。昔、日航機事故の時も寝過ごして乗り遅れて助かった経歴をもつピアノ犬は「オレって、いつもギリギリのところで助かるんよなぁぁぁ」と自慢。そこでコジ犬のキャッチ考えました-「ジェットコースター人生を送るピアノ犬コジのスリルとサスペンス満載のプレイ。タオルなくしては聴けない!新曲”ギリギリ”カップリング/”ワン!”得意技−ピアノ・ジャック」以下インターネットにあった犬の飼い方を参考までに。
 『犬中心の生活をせず、犬に振り回されないように気を付けましょう。 <教え方>1)食べ物を与える時は名前を呼び、目線の間に食べ物を持つ2)おもちゃを与える時も、1)と同様にする3)ごほうび(食べ物・おもちゃ)を少しづつ減らしていく4)一瞬ではなく、3秒間は目線が合うようにする』

夏の思い出その2/発覚!!先日、JIROKICHIの時大西がもうひとつライヴを掛け持ち!間違ってふたつ重なるのを「ダブスケ(ダブル・スケジュール)」とバンドマン用語で言いますが、最初から分かっていての確信犯。ひとり時間差攻撃ができると知ってブッキングしたホトケは共犯。「ひっぱりだこで、いやひっぱりクマか、ええなぁ・・」と言ったら、「薄利多売」とぶっきらぼうにクマは言い残してリハが終わってすぐ高円寺のもうひとつのライヴハウスに・・・そして約1時間後、クマは何食わぬ顔で帰ってきて楽屋で酒飲んで馴染んでいた。

夏の思い出その3/妖怪モリがある夏の夜、我が家にやってきた。コンパクトな録音器材とレコードを3枚もって夜11時出現。録音器材の説明とレコードをちょっと聴くと、我がパソコンに向う。小生コンビニに桃カルとコーラを買いに、戻ってきて米国音楽サイトをふたりで見ている時突如フリーズ。フリーズ解消後再度米国探訪する小生に、モリはソファに寝そべり「ちよっと死んでいい?」と一言。「死んでいいよ」と言って小生はパソコンで原稿書き。死んで2時間後、モリの右手が明らかにギターのリズム・カッティングとおぼしき動きを始め、「モリ?」と声をかけたが彼は夢の中。更によく観察すると足がリズムを取っている・・これが早い!さすが妖怪。このテンポは何だ?どの曲だ?”Compared to what"か?”Cold Sweat"か?・・・と、顔を見ると微笑んでいる。これが妖怪!夢の中でジミ・ヘンとセッションか?妖怪はそのまま夜中1時から朝6時までソファにて仮死状態。朝7時近く録音器材を再び車へ、そして帰る妖怪車を見送りながら・・彼は何のためにウチに来・・録音?・・熟睡・レコード?・・寝・・君・・顔色良・・元気?ウチ・・カプセル・ホテル?似谷啓・・・笑!!我、幻覚???幽霊・・妖怪・・納得!

夏の思い出その4/「オレたちだって歌いたい」というタイトルのライヴがベースのバカボン鈴木くんを中心にJIROKICHI で行われ、佐山雅弘、吉弘千鶴子、是方博邦、本田、そして、鶴谷が参加した。ただひとり歌手の私はゲストとして扱われていますが、まあ軽音楽同好会の顧問のようなもの。主旨は普段歌を歌わないけれども、おれたちだって歌いたいんだということで、各自が2、3曲づつ歌を歌う。当日リハに少し遅れ、JIROKICHI のドアを開けた途端難しい曲が聴こえてきました。「Moody's mood for love」というジャズの曲で歌っているのはななななんと、エイリアン鶴谷ではあ〜りませんか。ジャズのサックス奏者ジェイムズ・ムーディが作り歌ったなかなか粋な曲。エイリアンはもう1曲マリーナ・ショウの難しい歌も歌ってました。是非、 Trick Bagで一度歌ってもらいたいという希望は僕だけではないと思う。ちなみにこの企画の第一回目トップ・バッターとしてタキシードを着て歌ったのはBigHead佐山でした。曲は「Moonlight Serenade」。ボクの予想どおりイントロからハズシ、やり直しましたがまた途中でコケました。ハイ。己を知る大切さを知ったライヴでした。


では、前回に引き続きTB SONGS FOR TB LOVERS Vol.2

1.Born under a bad sighn(BookerT Jones/William Bell)
 邦題は「悪い星の下に」(アルバムも同じタイトル/スタックス・レコード68年制作) というのですが、「まるでホトケのために作られた歌やなぁ・・・」と、昔言われたことがあります。歌詞を読むとあまり嬉しい言葉ではありません。『悪い星の下に生まれて、ハイハイしはじめた時からずっと悪いことばっかりや。それが悪運のせいでないとしたら、オレには運がまるでないちゅうことや。悪運とモメ事はずっとオレの友達。オレは10才の時からずっとこんな調子。字を書くことも読むこともできへん。オレの人生はずっとひとつの大きな戦いなんや。オレが欲しくてたまらんもんは女と酒やって知ってるよな。いつの日かでっかい黒い女がオレをオレの墓まで連れてってくれるで』です。字を書く・・・という一節を除けば、ほんとにそのまま私です。 オリジナル・シンガ−はサウスポーのギタリスト、アルバート・キング。BBKing/ Freddy King /Albert King 「ブルーズ三大キング」の中では最も遅咲きのアルバートはこの「スタックス・レコード」と契約してからメジャー・ブルーズマンの仲間入りをしました。その少し曇ったスモーキー・ヴォイスと少ない音数で最大限の効果を出すチョ−キング奏法を多用しイキマくるアルバートのギター。アルバート・キングはほとんどのライヴでチューニングがズレていますが、僕がオープニングをやった時もバックはみんなチューニングが合っていましたが、彼のギターだけがズレていました。”カキコーン、ギューン”と弾くアルバートもさすがに合わないチューニングが気持ち悪いのか、バックのキーボード奏者に向かって何か怒鳴っているようでした。後から聞けばアルバ−トはキ−ボード奏者に八つ当たりして、最後にはクビにし、キーボード君は泣く泣くツアー中にアメリカへ帰ったそうです。このように頭のチューニングが時々合わないことをするアルバートでした。作曲のBooker・T・ Jonesは「BookerT&MG's」のバンマスでキーボード奏者。そしてこのMG'sというバンドはBooker ・T-Key. Al Jackson.jr-Dr. SteveCropper-G. Donald"Duck"Dunn-Bという、60年代ソウル・ミュージックの牽引者、オーティス・レディングのレコーディング、ライヴ両方に深く係わった人たちであり、輝かしい60年代ソウルの『スタックス・レコード』のサウンドを作った人たち。Cropper とDuckDunはブルーズブラザーズバンドのメンバーでもあるので観た人も多いと思う。作詞のWilliam BellはGreat OtisReddingの舎弟で、シンガー。

2.Compared to what(Les McCann)
 オリジナルのレス・マッケーンはジャズ・ピアニストでありヴォ−カリストでもありコンポーザーでありアレンジャーでありプロデュースもします。「Funky Jazz」と呼ぶにふさわしい彼の音楽はソウルとジャズの間に位置するもので、そのピアノは実に「おいしい」ところを知っている大人のワザです。日本のジャズ・サイドからはこのファンク・タイプの人がほとんど見当たりませんが、この曲をやろうと提案した「ファンク犬」コジ君は、なかなかセンスの良い「優秀犬」として特別ドッグフードをあげました。70年代の初めロバ−ト・フラックの才能を見つけ彼女を世に出したのはこのマッケーンおじさんです。ロバ−タ・フラックの同志、亡きダニ−・ハザウェイをデビューさせたサックス奏者、キング・カーティスとよく似た感覚の人です。この曲はオッサンが何度か録音している代表曲で途中に「大統領は戦争を始めるが、それがどんなに地獄か国民は知らない」という一節が出てきますが、彼は60年代終わりから70年代はじめ社会政治的な曲を作った人で「The priceyou've gotta pay to be free 」(自由になるために払うべき値段)という有名な曲もあります。

3.Ain't nobody's business if I do(Porter Grainger/Everette Robbins)
 1920年代のクラッシック・ブルーズの女性歌手、ベッシー・スミスも録音していたほど古いブルーズで"Ain't nobody's business if I do" とは、直訳すると「もしオレが何かしても誰の仕事でもない」つまり「オレの好きにさせてくれ、誰にも迷惑はかけないから」とか「オレ自身のこと他人が知ったことじゃない」という意味。『ある日、ハムとベーコンと食べてしまった。次の日には何にもないけどオレのことだよ。ほっといてくれ。/ある日オレとオレの彼女がひどい喧嘩をして、少し経ったら仲直り。誰の問題でもない、オレたちの問題なんだ。/一晩中、歩き遊び回って、金を全部使ってしまっても、関係ないだろ?オレの金だから、好きなようにするさ。」僕はこの曲を75年の「ウエストロード・ブルーズバンド」の1st Albumでカヴァ−しましたが、ヒップに生きたい、明日の事ばかり考える毎日なんて・・と思っていた当時の心境はいまも変わりなし。最初に聴いたのはBBキングのヴァ−ジョンですが、カヴァーしている人たちは他にもオーティス・スパン、フレディ・キング、男性ジャズ系シンガ−、ジミ−・ウィザ−スプーンそして女性はビリ−・ホリディなどたくさんいます。コジ君からビリー・ホリディのバージョンでやろうという提案があったのでただいま練習中です。

4.Just a little bit(J.Thorton/R.Bass/E.Washington/S.Thompson)
 R&BシンガーのRoscoe Gordonが1960年Vee Jay Records時代にヒットさせたブルーズがR&Bに移行していく時代のダンス・ナンバー。『たくさんは要らんのや。ほんの少しでええから、オマエの愛が欲しいんや』シンプルな詞ですが、イントロから始るリフがカッコ良くて忘れられない。シカゴ・ブルーズの亡きマジック・サムがアルバム「ブラック・マジック」(デルマーク・レコード/'68 作)でカヴァ−している。Tボーン・ウォーカーのこの世への置き土産「ベリー・レア」でやっているヴァージョンもかっこいい。

5.All Your Love(Otis Rush)
 これは前述のマジック・サムとほぼ同期50〜60年代シカゴ・ブルーズの四天王のひとり、オーティス・ラッシュの曲。僕は高校生の時に「ジョン・メイオール&ブルーズブレイカーズ」のアルバムで若き日のクラプトンがカヴァーしていたのを聴いたのが最初。後に本家のラッシュを聴いて「なんや、クラプトンは完コピやったんや・・」と少し落胆したが、いま聴くとどっちにもそれぞれのカッコ良さがある。もう10年ほど前になるだろうか、たまたまツアーのオフの日に名古屋でラッシュのライヴがあるというので駆けつけた。ミス・トーンも多くて、あまり良い状態ではなかったラッシュでしたが、逆転ホームランを時折打つ人なので僕は「がんばってくれ」と心中応援してました。ところが!なんと自分の一番のヒット曲であるこの曲が始ると彼は延々とギター・ソロを弾き続けました。いつ歌が出てくるかと待ち構えたが結局歌はなく、「チャラ〜ン」とA マイナー を弾いてお・わ・り。自分の一番のヒット曲を歌わずに終わるなんて!僕は腹が立って席を蹴って帰りました。あんな淋しいAマイナーはかってなかった。

6.BowWow(Johnny Guitar Watson)
 この曲のオリジナル、ジョニ−”ギター”ワトソンはテキサス出身のヒップな兄貴でした。「でした」と書かなければならないのが、本当に残念ですが数年前来日中に横浜ライヴハウスで心臓マヒで亡くなりました。長い間ドラッグ漬けになって音沙汰の無かったジョニ−Gが、実のおかあちゃんに「あんたなぁ、いつまでそんなん(ドラッグ)やってねん」と戒められ、復帰の第1作がこのアルバム。胸にはゴールドの自分のイニシャル「JGW」を光らせ、帽子を斜めに被り、ウィットのある、ファンキーで、オシャレだけどどこかイナタイ、下町の兄貴風。Johnny GuitarWatson!大体芸名からして出来過ぎ。これをヒネって「ジョニー・ギター・岩田さん」(イワタサンを早く読むと>ワトソンになる?)というオモロイ・バンドマンが京都にいましたが、現在は行方知れずです。70年代に発表したアルバムは誰も真似することのできないジョニーGのファンク・ブルーズ・ワールド。ひとりでほとんどの楽器をプレイし、その才能にはかのプリンスも注目、変人奇人才人フランク・ザッパのアルバムにも参加したことがある超人。

7.Crying Time(Buck Owens)
 いまやアメリカを代表する歌手となり、天才(ジニアス)と呼ぶ以外にあだ名のつけようがないレイ・チャールズの『Greatest Country&Western Hits』というアルバムから。このアルバムはすべてカントリーの曲だが、レイが歌うとすべてゴスペルやブルーズのように聴こえてしまう。有名な「愛さずにはいられない」(I can'tstop lovin' you )が大ヒットしてからレイは「Together again 」「Take thesechains from my heart」そしてこの「Crying Time」と白人のカントリ−・ソングを取り上げヒットさせたことで、彼は白人層からも絶大な人気を獲得しました。『どんな曲を与えられてもそこにソウル(魂)を入れ込むんだ』という彼の考え方は、彼と共に50年代R&B SOULのイノヴェーターであり、音楽業界における黒人の地位向上を目指したサム・クックと同じものだ。黒人が白人社会になかなか入れ込めなかった時代に黒人であり盲目でもあったレイは点字で譜面を読み、バック・ミュージシャン、スタジオ・ワークを経てR&Bにゴスペルを強く取り込んだ最初の人だ。『心の空白は心根を優しくさせ、涙は愛を育てる唯一の雨というけれど、もし、僕が100才まで生きたとしても、君への愛がこれ以上強くなることは決してない。そして、君がドアを開けて出ていく時、また僕の泣く時が始るのさ』ピアノ犬コジ君はかって柳ジョージ氏のサポート・メンバーだった時に、レイとレイのバンドと日本ツアーを回ったことがあり、その時レイにピアノの手ほどきを少し受けたという夢のような話がある。

8.What'd I say(Ray Charles)
 これもレイ・チャールズの曲。このラテン調のリズムはいつ聴いてもファンキーだ。現在の流行りものにはほとんど登場しないリズムだが、200億光年先行った宇宙人には新鮮だったのかエイリアン・ツルは喜んでやっている。レイの女性バック・コーラス/ザ・レイレッツとの呼応(コ−ル&レスポンス)は教会におけるゴスペルのやり口をそのまま持ち込んだものだが、ライヴの時いまだに1本のマイクをレイレッツ5人取り囲むスタイルは美しい。

9.Hallelujah I love her so (Ray Charles)
 『オレの彼女のこと喋らせてくれよ。彼女はとなりの部屋に住んでいて、毎朝太陽がのぼる前にオレのお気に入りのカップでコーヒーをもってきてくれるんだ。彼女に電話して”ひとりで淋しいんだよ”と言うと、彼女は4つ数える頃にはオレのドアを叩くんだ』というノロケ・ソング。
 Rayの初期のヒット「I got a woman 」も「町のむこうに住んでいるオレの彼女はほんとにいい女なんだ・・」とノロケ・ブルーズ。レイ・チャールズの「声」とサム・クックの「声」とマーヴィン・ゲイの「声」・・・どれかひとつ欲しかった。



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