TRICK BAG TRIBE(TBT)NO.4
NEWS:2月4日(木)目黒ブルーズ・アレイ(03−5496−4381)にTRICK
BAG初出演!
「ブルー・ノート」的な落ちついたムードとゆったりとした広さ、しかも料理がうまいと評判のライヴ・クラブに我がTRICK
BAG初出演します。JR目黒駅から徒歩5分。寒さに震えなくても店に着けます。Enjoy your night life.
春まだ遠く酔いざめの朝帰りの身体に寒風が吹き付けます。我がTRICK
BAGのウィルスには強いはずのメンバーも小島、鶴谷が風邪にダウンしました。私たちは小島がふりまいたので「コジマ菌」と呼んでいますが、ひどい悪性で1月の関西、名古屋ツアー前日に鶴谷がダウン!な、な、なんと肺炎。ツアーなど行くことまかりならぬ!という医者の判断。バンマス、ホトケはフリーズ。ディスクトップに「泣き顔」まででたほど。しかし、鶴谷は2時間の点滴を打ち、再起動して神戸へ現れた。しかも翌日、翌々日も具合が悪くなったら点滴で再、再起動する覚悟と鶴谷は自らを叱咤してのツアーだった。みなさんも「コジマ菌」には気をつけてください。今回のTBTのメールから5人のメンバーのプロフィールを毎回ひとりづつお送りします。第1回目はギタリストの森園勝敏(メンバーはモリ、モリさんと呼んでいる)。
♪森園勝敏♪1954年東京生まれ。日本の元祖プログレッシヴ・ロック・バンド「四人囃子」のギタリストであり、ヴォ−カリストであったモリさんは12才で突如ベンチャーズに狂い、ギター(しかし、エレキではなくアコースティック・ギター。ホトケの家にも親父さんのアコースティック・ギター、商品名「古賀ギター」*古賀政男先生公認モデルがあったという。)を弾き始める。モリさんのミュージック・ヒストリーの始まりだ。エレキを手に入れてからはビートルズを初めに、キンクス、スペンサー・デイビス・グループなどのブリティッシュ・ロックに熱中し、その後ロックの本流が変遷していったようにクリーム、ジミ・ヘンドリックスなどのサイケデリック・ロックへと移り変わる。そして、高校の時、同期生だった岡井大二(Dr)中村真一(B)とハンドを組み文化祭などで演奏していた。そのバンド名がザ・サンニン!そして、そこに坂下秀実(key)が加わってザ・ヨニンズ・・・にはならずに「四人囃子」となった。
1971年5月「四人囃子」結成。オリジナル・メンバー:森園勝敏(G)岡井大二(Dr)中村真一(B)坂下秀実(key)。
1972年当時カナダから帰国した「フラワー・トラベリン・バンド」の帰国コンサートの前座に「四人囃子」が抜擢される。73年の7月初のワンマン・コンサート。この当時のライヴ音源としては貴重なこの年8月の俳優座のコンサートが記録されたアルバム['73四人囃子]<東宝レコード>が残っている(発売は78年)。そして、いよいよファースト・アルバムを発表。
1974年6月東宝レコードより「四人囃子/一触即発」がリリース。TBのメンバーでは一番古いつき合いのホトケは当時「ウェストロード・ブルースバンド」で、四人囃子とツアー最中に森園にMCエッシャーの画集を見せられたことを覚えている。また、この年ホトケは初めて渡米したが、彼のパスポートの写真を撮ったのはモリさんの父上だ。8月、伝説のビッグ・イベント「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」には共に出演。一触即発に「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」という曲が収録されているが、このコンサートの時、四人囃子ライヴ中にステージの後方の夕刻の空に円盤が3機飛んだのをホトケは数人と確認。四人囃子は当時から音響、照明にも力を入れていたが、この「ワンステップ」ではマイク・スタンドに取り付けられた花火がグルグル回った。森園談「熱くて、熱くて、ちよっとヤケドしたよ(笑)」
この後、キーボ−ドの茂木由多加が参加。中村が脱退してベ−スに佐久間正英が参加。1976年CBSソニーに移籍して、セカンド・アルバム「ゴールデン・ピクニックス」を発表。その中に収録されているモリさん作曲の「レディ・ヴァイオレッタ」は言わばフュージョン的作品だが、ロック、ラテン・フレイヴァーを含み彼特有のアナザー・サイドヘ誘い込むような美しい曲。この後モリさんは四人囃子を脱退。以後はソロとして活動。
1977年ギタリスト和田アキラの「プリズム」のアルバム2枚に参加したり、「ジュリエット」、山内テツの「グッドタイムス・ロールバンド」などのレコーディング、ライヴにゲスト・ギタリストとして参加。そして、「ウエストロ−ド」の山岸潤史、秋山一将、渡辺香津美、そして昨年亡くなった大村憲司など当時の話題のギタリストたちを集めたアルバム「ギター・ワークショップ(ビクター)」に参加。
1978年初のソロ・アルバム「BAD
ANIMA」(キング)をリリース。その後ソロ・アルバムを「COOL ALLEY」(キング/79年)「ESCAPE」(キング/
80年)「SPIRITS/森園勝敏withバーズ・アイ・ビュー」(キング/81年)「JUST
NOW&THEN 」(キング/82年)「4.17PM
」(ビクター/85年)「CROSS
TALK」(ビクター/90年)「DOWN
FORCE」(東芝/91年)と発表している。また、94年にはジョニ−吉長の「JRSM」(江戸屋)また95年プリズムの「PRISM WITH FRIENDS」(イースタンゲイル)に参加。他にもノヴェラ、土屋昌巳、マルタなどのレコーディングに数多く参加、スタジオ・ミュージシヤン、プロデューサーとしても活躍してきた。プログレ・ロックだけでなく、ロック全体への見識は豊富で、音そのものについても多くの知識をもっている。彼が独自のフィールドを持った秀逸なミュージシャンであることは明白。プログレッシヴとは進歩的な、進行しているという意味だが、彼はいまも進歩的で柔軟、軽妙で、クールだ。変幻自在なギター・テクと多彩な音色をもっている希有な存在だ。現在はTRICK BAG、そしてTBのブラザー、金子マリの「ハード・ブルーズ・ドライヴ」にも参加。スタジオ・ワークもしている。ブルーズ、R&B、ファンク、ジャズなどブラック・ミュージックに浸かりながら活動してきたホトケがモリさんをギタリストに選んだことに驚いた人も多い。しかし、カヴゥーの曲ひとつ演るにしてもコピーで終わらせず、自然とオリジナリティが表現されるにはモリさんの堅固な基本と、深い見識と、多彩な音がバンドに必要と感じたからだという。ブルーズを自由な表現のできる音楽と考えるホトケはこれからTBが作る「21th・Century・Blues」をフォーム(形式)だけでプレイする人は必要なく、モリさんの万華鏡のごときカラフルな音の輝きこそ必要だと考えた。しかし、モリさんがユーモアとウイットにあふれた人であることも何度かステージを見た方はお分かりだろう。
(モリさんおとぼけエピソード)
1.「曲り角を3回回ると方向が分からなくなる」というのがバツグンでした。彼が度々遅刻するのはそれが原因でしょうか?しかし、これはおとぼけではなくボケではないか説も。
2.ホトケが楽屋でモリさんの着ていたボタンダウンのシャツを見て「あっ、懐かしいなそのシャツ、オレも高校生の頃そんなの着てたわ」と言ったところ、モリさんは「うん、これ高校の時のやつ」。
3.お笑いの好きのモリさんが新宿末広亭に行った。平日の昼の末広亭は客席がガラガラ、しかも誰も笑わない。ところがモリさんは駆け出しの落語家の話にゲラゲラ笑い続けた。すると、その落語家はふと話をやめて、モリさんに「お客さん、そんなにおもしろいですか?」と訊いた。
みなさんから見るモリさんはどうでしょう。メールをください。最後に今月、2月18日は森園勝敏のバースディです。曲や演奏への質問、スケジュールの問い合わせ、ライヴの依頼などなんでもメールしてください。また、閉塞され、退屈な日常に不満をお持ちの方、どこまでも疾走していく犬のようなピアニストを見たい方、熊のプ−さんはハチミツがすきですが、めちゃ酒好きの二日酔いの熊が倒れずにベースを演奏するのを見たい方、宇宙人が修行僧のようにドラムを叩くのを見たい方、遅刻してきても摩訶不思議な音で全員を煙に巻くギターを弾く妖怪を見たい方、そんなメンバーを抱えて冷汗を流しながらCOLD SWEATを歌い、人生の谷(山じゃない)から谷を駆け巡るアホな歌手が見たい方、明日の活力に是非一度TRICK BAGの演奏にあなたの友人、恋人、同僚、上司、先生、親、愛人、パトロン、また知人の自己破産者、失職者、資産家、ニューハーフ、代議士などお誘い合わせの上御来場ください。では、次回のメールまでBYE!
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